延命治療のその先に~②医療から見えない家族崩壊の道

前回、叔父が植物状態になったときのことを書きました。ご覧くださり有難うございました。
おそらく今の活動の原点となった出来事だろうと思います。
叔父の延命治療によって私たち家族は多くの悲しみを抱え、時を経て多くのことを学びました。

延命治療のその先に~①原点回帰、魂を揺るがした病院での光景

 

 

 

 

今日はその後を書きます。家庭の内情を赤裸々に話すことになってしまいますが、今も同じような思いを抱えられている方がいらっしゃるのではないかなぁと思うから。誰も幸せにしない延命治療があってはならないと思います。

 

1.付き添い婦問題

3ヶ月が過ぎた頃、叔父は集中治療室から一般病棟に移りました。意識は回復しませんが、生命の危機を脱したためです。しかしながら時間ごとの体位変換、オムツ交換、着替えや洗面、洗濯など24時間お世話が必要な状態でした。

叔母は家庭があることと高齢のため付き添いできる状態ではありません。また私の父も家庭があり仕事があることから「付き添い婦さん」をお願いした様でした。今でこそ入院に付き添う必要はありませんが、1980年頃は寝たきり患者さんには家族が付き添うか、付き添い婦を付けるということが当たり前でした。

 

 

 

 

 

2.家庭内不和

ある夜、私が自分の部屋で寝ていると、深夜に怒鳴り声が聞こえてきました。じっと耳を澄ましていると、父と母の声でした。何を言っているのかわかりませんが、聞いたことないような父の荒々しい言葉、母親の泣きながらの声…わたしはベッドで布団にうずくまり、震えながらじっと耳を澄ましていました。

後になって、どうやら叔父がこのままの状態で後2年生きたら、我が家を売らなければならない…という状況であることを父から聞かされました。付き添い婦さんの手当が毎月30万円かかるため、叔父が残した分を使い切ってしまうということでした。

1980年代は昭和全盛期でマイホーム・マイカーが幸せの象徴であるかのような時代です。母親もパートで働いてローンを支払っていましたし、夫の兄弟のために全財産を失ってしまうことが許せなかったのだと思います。

 

 

 

 

 

3.嫁姑問題

叔父は離婚した後、母親(私にとって祖母)と一緒に暮らしていました。叔父が入院することで困ったのが祖母の世話です。

祖母は身支度程度は自分でできていましたが、独居は厳しい状態でした。叔父の入院費を叔母が支払っていることから、父はこれ以上姉に負担をかけるのが申し訳なく、祖母をうちで引き取ることにしました。

ところが…気に入らないのは私の母です。自分も懸命に働いて、稼いだ財産やマイホームを失うかもしれない状況の上に、姑と同居することになってしまいました。

その後の想像は容易く、母親はよく泣いていましたし、よく愚痴を言っており、夫婦喧嘩が絶えなくなっていきました。父は植物状態になった兄のことが放っておけず、また付き添い婦さんの機嫌を損ねると兄に影響してしまうことから、仕事の帰りはよく病院に足を運んでいました。

また、これからのことを姉といろいろ相談したり、姉の家に出向いて頭を下げたり、住んでいた家の処分など様々な手続きに追われているようでした。そしていつしか、夫婦の間に溝ができていったことは言うまでもありません。。

 

 

 

 

 

4.叔母の後悔

それから2年後、叔父は付き添い婦さんに見守っていただく中で亡くなりました。祖母は母との仲が悪化して、叔母が引き取ることになりました。我が家のマイホームは売らずに済みましたが、夫婦仲が元に戻ることはなく、結局離婚に至りました。

叔父のことが直接の原因ではないと思います。ですが夫婦の間に溝ができたことに間違いはないと思います。

叔母はそのことをずっと後悔していました。「私があの子を助けたばっかりに、植物状態で何年も生きることになってしもうて…」「私があの時、救急車を呼ばんかったら、こんなことにならんかったのになぁ…」「ようこちゃんの家も、こんなことにならんかったのに…、ごめんなぁ」

私は叔母に何度言ったかわかりません。「おばちゃんが救急車を呼んだのは当然のことやで」「助けへんかったら、おばちゃんが罪になるんやで」「おばちゃんのせいじゃないで」

ですが叔父が亡くなって何十年経っても、私が会いに行くたび、叔母は同じ言葉を繰り返すのです。その後、父が亡くなってからも叔母は「私のせいであの子にも苦労させてしもうて…」と懺悔していました。

 

 

 

 

 
叔父のことがあってから三十数年、叔母は80代後半になり施設に入所しました。その後も同じ言葉を繰り返していましたが、ある日いつもと違うことを言い始めました。「あの子(弟)もな、スッとラクに死ねてよかったと思うんや」私は驚いて叔母の顔を見ました。

(ああ、ついに認知症が始まったんや…)微妙な気持ちでした。叔母が認知症になっていくことはとても悲しかったけれど、これでやっと自分を責めなくていい、安心して過ごせるようになる…と。

(長い苦しみがようやく終わったんだ…)ほっとするような、胸を撫でおろすような感覚がしました。(おばちゃん、もういいねんで。おばちゃん精一杯生きてきたんやから、もう何も考えんでいいよ)と心の中でつぶやきました。

 

 

 

 

 

5.誰も悪くない

誰も悪くないんです。叔母も、父も、母も…みんな一生懸命だったと思います。そして叔父も、意識のない状態で生き続けることを望んでいなかっただろうと。

家庭が崩壊した理由はきっと他にもあると思います。だけど叔父の延命措置がなければ至らなかったかもしれない。少なくとも叔母が認知症になるまで後悔し続けることは無かったと思う。

みんなが一生懸命なのに、なぜこんなことに…?それは延命治療に限らず、介護も同じ状況と言えるかもしれません。もしかしたら、今の日本全体がそうかもしれません。あるいは地球全体がおかしくなってしまっているのかも。

みんなが一生懸命なのにしあわせになれない原因…それは大きなシステムに問題があるからだと思います。

だけど誰かが変えてくれるのを待っていても変わらないことは、みんな承知の沙汰ではないでしょうか。大きなシステムを変えるには、一人ひとりが考え方を変えていくしかないんじゃないかなぁと思います。

 

 

 

 

 

6.現代において

付き添い婦に費用がかかったことが原因だとしたら、今の時代は付き添い不要だから関係ないのでしょうか?いいえ、今の方が大変になっていると思います。

付き添い婦の制度があったこの頃は、金銭的な問題さえ何とかすればそれ以上の負担を家族が抱えることは無かったかもしれません。ですが今は延命治療で緊急を脱した後は、自宅で介護をし看取らねばなりません。

自宅で看るということは介護者だけの問題ではなくなります。経済的な問題だけでなく家族の時間や労力、しいては仕事、社会関係、時に人生まで奪っていくことも・・・大人だけでなく子供や孫の人生までも。

介護問題の本質は、「介護される人」よりも「介護する人」にあります。命を守る人のケアが置き去りになっていることが問題を大きくしています。そして2023年12月、こども家庭庁は、国や自治体による支援の対象として法律に明記し、対応の強化につなげていく方針を決めました。次の通常国会への改正案提出を目指すことにしています。

“ヤングケアラー” 支援対象として法律に明記 対応強化へ

 

 

 

 

 

 
今日も病院では延命措置が行われています。延命から3ヶ月、半年経った頃、患者さんの横で、時に呆然と立ち尽くす家族の姿を私たち看護師は見ます。

言葉にはしないものの、(こんなことになるなんて…)と予想もしていなかった心の声が聞こえて来るのです。きっと病院では見えないところで、想像を超える家族の負担が強いられているのだろうと。

医療の目的は「命を救うこと」ゆえに医療者は全身全霊で、とにもかくにも命を救います。それが使命だから。

その先にどういう現実が待っているか・・・

独居の高齢者ほど延命になりやすい現状です。私は静かに密かに逝きたいなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 
介護・みとりの意見交換会をしています

 

 

 

 
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この記事を書いた人

 

 

 
看取り対話師協会主宰
一般社団法人日本ナースオーブ
代表理事/せのようこ
看護師経験30年

認知科学・コミュニケーションの講師を15年務める。より良いお看取りを日本に広めるため、経験10年以上の看護師チームで保険外訪問看護サービスを開始。
代表よりご挨拶

 

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