看取り対話師研修では毎月2回ZOOMディスカッションを行っています。
自宅での介護が増えていることから、自宅で最期を迎えることが多くなってくるだろうと思います。これまで病院で最期を迎えることが当たり前だっただけに、戸惑われるご家族が多いと思います。今回は、ディスカッションの中で、ある看護師が話した内容をご紹介します。
自宅で最期を迎えるいちばん良いところは、”住み慣れた場所であること”ではないでしょうか。今まで見慣れていた、いつもあるもの。見慣れた窓、景色、テレビ、ラジオ、机、いつもの家具、家族の声、歩く音、食器を運ぶ姿、話しかける様子。そこにはいつもの風景があります。
一方、病院の方は、看護師、医師、リハビリスタッフ、お掃除の人など多くのスタッフがいます。また、点滴や心電図モニター、酸素など様々な医療機器に囲まれ、景色や聞こえてくる音も違い、どうしても家に居るようなリラックス感は得られませんね。
人生の最後のとき、住み慣れた家で過ごしたいと思う人は年々増えています。内閣府のデータでは60歳以上の方で「自宅で最期を迎えたい」と思われている方は半数以上います。
完治が見込めない場合に迎えたい最期の場所
内閣府データ、令和元年版高齢社会白書(全体版)4 高齢期の生活に関する意識)
ですが実際は、病院で亡くなる方が8割以上を占めています。
一つの参考例として、ある看護師が語った「小さい頃に亡くなった祖母」の話をご紹介します。
小さい頃、両親の実家に帰省したある日の夜のことでした。その夜は、明日家に帰るため、両親の実家で最後の夜を過ごしていました。隣の部屋で祖母は休んでいましたが、真夜中に家族がばたばたしていることに気づいてふと目を覚まし、耳を澄ましていました。
すると、両親の「おばあちゃんこんなに汗かいて」という声が聞こえてきました。そうこうしているうちに朝方になり、町のお医者さんが来て、「息がとまってますね」と。そう、祖母は静かに息を引き取ったのでした。
病院で亡くなるときは様々な医療機器が体に入り、「自然な死」からかけ離れた最後になる場面を多く見ます。ですが話を聞いていて感じたことは、とても「自然な死」のように感じました。おそらくご本人もわからないうちに亡くなられたのではないかと思います。
病院では、大切な人が最期を迎えようとするとき、「もう会えない」「この世からいなくなる」と感じて、悲しみ、不安にかられる方たちが多くいます。ですがご自宅では少しずつ、心の準備が整っていくのか、”悲しい思い”とはまた別の感情を持つようです。
最後の瞬間は、言葉は話せなくとも、雰囲気を感じたり聴力は最後まで残っているといいます。ご本人には家族の声が聞こえ、いつも通りの環境の中で安心できていたのではないでしょうか。そして、その話の最後で印象的だったのは「今もまさに(祖母が)近くにいるような感覚がある」と言っていたことです。
大切な家族に囲まれて、今まで住み慣れた自宅で静かに亡くなる。だからこそ死を自然に受け入れ、いつもで心の中で会えるような感覚を持つのだろうと思います。そこには亡くなることに対する悲しみ、不安といったものは無いかもしれません。
これから在宅での死が増えていくと思われますが、在宅だからこそ、安らかに最後まで暮らせるような「お看取り」をして頂きたいと思います。看取り対話師がご支援いたします。
看取り対話師事務局 山川 幸江と申します。
看護師歴16年です。
私自身の母を看取った経験から全ての人が穏やかな親の最後を受け入れる社会を目指しています。
お看取りに関すること、看取り対話師の活動方針などを書いています。