愛は自分にあるものではなく、相手にあるものでもなく、ちょうど間くらいにポッと在るだけのものではないかと感じています。与えるものでも、受け取るものでもないと思うんですね。相手が愛だと思えば愛だろうし、相手が愛だと思わなければ愛ではないのでしょう。そして、自分自身を愛せなければ相手を愛せないし、自分を信頼できなければ相手を信頼することもできず、自分に優しくできない人は相手に優しくできないだろうと思います。
現代人の多くは「愛してる」と言われなければ愛を感じることができないようですが、本来日本人は、愛を語らなくとも感じ取ることができたと思うんですね。「愛してる」なんて言わなくても、愛があればわかったでしょうし、愛のある人とそうでない人を見分けることもできたのでしょう。日本人は言葉以上に、感覚的に優れた性質を持っていたのです。あなたはいかがでしょう?
昭和を生きた団塊の世代の多くは、愛は単に優しいだけでなく、”厳しさ”も持ち合わせていただろうと思います。”あなたのためを思って”と、あえて厳しく接します。自分が嫌われることを恐れず、相手の成長を願い、あえて苦労させるという関わり方を実践して来た人もいらっしゃると思います。それは看護師にも在りがちです。40代、50代、厳しい育てられ方をした人ほど、後輩にも厳しさを与えます。もちろん命に関わる現場だからこそそうしなければならないというのもありますが。
また、私自身もメンタルトレーナーとして精神性の成長を促すために、身近で学んでいる人にはあえて厳しくするという関わり方を選ぶことがあります。それは、この人はきっとわかってくれる、今はわからなくてもいつかきっと…と相手を信じる気持ちがあるからこそできる関わりです。そうしてお互いの魂が磨かれていくのだと思います。ですが、時代はそうではなくなって来ているようです。現代人は愛が枯渇しすぎていて、厳しさを愛と受け取ることができなくなっています。もはや条件付きの愛は求めていないのです。無条件で愛して欲しいのです。
現代は「個」や「多様化」が尊重されているように、変化するもしないも成長するもしないも、みな自分自身の選択になってきています。そして自分の選択に自分で責任を持つ時代へと変化しています。良くも悪くもそれが”その人らしさ”であって、その先にそれぞれの選択に応じた学びや成長があります。そこに必要以上に介入しないという、お互いに距離感を保つ、自立した生き方が望まれています。
したがって会社、家庭、地域など、自分に合わない価値観の人との縁は自ずと切れていくでしょう。その代わりインターネットを通して、自分が心地いいと感じるコミュニティに所属してつながるという、今までとは違う世界が形成されていきます。そこでは各々ができることを自分の感覚にしたがって行い、互いに補い合いながら輪を育てていくのだろうと思います。
お看取りに関わる看護師は、本質に還る旅へと送り出す役割です。よって、すべてを包括できる人に自己成長する必要があろうかと思います。看護は命の誕生から死まで、人生のすべてのシーンに関わる”最上位概念”なのです。そして相手がどんな状態であろうと、愛のある人で関わる精神性の高さが要求されます。人生の最期に浄化する役割だからこそ。
これから多くの人が死に直面することと思いますが、それはきっと自分自身の在り方を省みる~ということだと思います。同時に、看護師である私たちに与えられた成長の機会でもあります。私たちはそういう目的をもってこの時代を選んで生まれ、あえて今まで愛に飢えた場所に身を置いてきたのだろうと思います。相手がどんなに否定的であれ、すぐさま肯定表現に置き換えることのできる人で在りましょう。そういう背中を見せることのできる看取り対話師でいてくださることを願っています。
この記事を書いた人
看取り対話師協会主宰
一般社団法人日本ナースオーブ
代表理事/せのようこ
看護師経験30年
認知科学・コミュニケーションの講師を15年務める。より良いお看取りを日本に広めるため、経験10年以上の看護師チームで保険外訪問看護サービスを開始。
代表よりご挨拶
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